皆さん、こんにちは!
いきなりですが、皆さん「世界三大カーニバル」はご存じですか(笑)?
カーニバルとは「謝肉祭」と言われ、キリスト教でいう「四旬節」の前に魚・肉等ご馳走を食べて大いに騒いだ事が起源、とされています。
世界三大カーニバルとは、「ブラジルのリオのカーニバル」「イタリアのベネチアのカーニバル」「スイスのバーゼルのカーニバル」を言います。
これに対して日本の祭りは本来は「祀る」、つまり神様や先祖の霊に対して行う儀式です。
特に夏祭りは、「除疫祭」(田畑を食い荒らす害虫や疫病の流行を免れる為のお祭り)と言われています。
これは、農耕が人々の生活基盤であった事から、農業にとって重要な時期に神様に祈る祭りが行われたらしいです。
同じお祭りでも、国が違えば意味が全く違いますね(笑)?
今日は、ここまでです。
7月 2016のアーカイブ
「天神祭」
皆さん、こんにちは!
いよいよ梅雨も明け、夏祭りの季節ですね?
という事で今日は、「祇園祭」と並んで日本三大祭りの一つである「大阪の天神祭」に関するお話です。
天神祭りは、951年に始まった「鉾流神事」が元であると言われています。
鉾流神事とは、天満宮の前の大川より神鉾を流し、大神様の思し召しによって流れついた所に御旅所を造り、そこに神様をお迎えして祭りを行う神事です。
ただ今の天神祭における中心的行事は、御祭神である「菅原道真公の御神霊」が年に一度本殿からお出ましになり、氏子と町々が平安であるかどうかを御覧になる「陸渡御」と「船渡御」です。
僕も暑い中、一度だけ大阪の天神祭に行った事がありますが、人も多く、非常に暑かったですね(苦笑)。
皆さんも機会があれば、浴衣姿に団扇を持って一度行かれてはどうでしょう?
今日は、ここまでです。
「ボストン美術館所蔵の国芳・国貞展」
皆さん、こんにちは!
先日、神戸市立博物館で開催されている「ボストン美術館所蔵の国芳・国貞展」へ家族と一緒に行って来ました。
国芳・国貞は、人気浮世絵師「歌川豊国」の門下生で、お互い兄弟弟子だったようで、共に江戸後期の浮世絵の黄金時代を築いた絵師です。
解説を見てますと、錦絵(浮世絵)は当時写真技術がなかった為、今でいう芸能人のブロマイドだったようです(笑)。
ただ見てまして感じたのは、普通浮世絵というと薄っぺらいイメージがありますが、原画を直接見ますと、趣きがあって重厚な感じがしますね?
僕が見た中では、国芳が書いた骸骨の絵が一番よかったです。
最後に、8月28日まで開催されていますので、暑い季節の中、クーラーの効いたところで美術鑑賞はどうでしょう(笑)?
今日は、ここまでです。
「お中元」
皆さん、こんにちは!
今日は、「お中元」の由来に関して述べたいと思います。
そもそも古代中国では、上元(1月15日)・中元(7月15日)・下元(10月15日)を合わせて「三元」と言い、罪を償う日として一日中火を焚く風習があったそうです。
これに対して日本では上元(小正月)・中元の行事はあったようですが、下元に関する風習はもともとなかったようです。
その為、特に「中元」は、お盆の風習と結合して広く行われるようになりました。
つまりお盆では亡き人を供養しお供え物を捧げますが、中元では日頃お世話になっている人に感謝の気持ちとして贈り物をする行事になった、と言われています。
どうですか?
お中元の意味が分かりましたでしょうか(笑)?
ところで、もうお中元は贈りましたか?
通常は7月~15日までに贈りますので、まだの人は直ぐに送って下さいね(笑)!
今日は、ここまでです。
「七夕」
皆さん、こんにちは!
今月7日は、「七夕」ですね?
今日は、年に一度、織姫と彦星が天の川を越えて出会うとされている「七夕」に関するお話です。
七夕とは、奈良時代に中国から伝わった伝説と、日本古来の棚機つ女伝説や風習等が結びついて、現在のような形になった、とされています。
中国から伝わった伝説というのは、遊んでばかりで全然働かない織姫と彦星を天帝が戒め、真面目に働く事を条件に年に一度だけ会う事が許されたという七夕伝説。
日本の風習というのは、日本では昔から農村部のお盆(旧暦の7月15日)に祖霊を迎える禊の行事がありました。
「先祖祭り」と言って、収穫した麦や雑穀をお供えして、ご先祖様に感謝したそうです。
この2つが合体して、「七夕」になったと言われています。
皆さん七夕の日は、お子さんと一緒に願い事を書いた短冊を笹竹にぶら下げて、お祈りしてみてはどうでしょう?
案外、願い事が叶うかもしれませんよ(笑)!
今日は、ここまでです。